どうする、PTA?

世田谷区立桜丘中学校の前校長、西郷先生のPTAについてのご意見が5月18日の朝日新聞記事で紹介されていました。以下、一部を引用します。

ーー引用ーー

 いまの学校の多くには、閉鎖的な風土があります。悪い評判を立てられたくない。生徒の問題行動を見られたくない。その内向きさが保護者との距離を遠ざけています。新しい挑戦をしようとすると「みんなと違うことをするな」と、教育委員会や近隣の学校、ときには保護者から問われ、責められる。結局は前例を踏襲し、右にならい、情報も出さないことが正解になってしまう。ただでさえ仕事量が多いなかで保護者への対応が負担になれば、精神的に追い詰められてしまいます。

そうした教員を取りまく環境の問題が根幹にはありますが、私は、まず校長が自ら保護者と接することで閉鎖性を和らげられると思います。私は直接会う機会をつくり、メールアドレスも保護者に公開しました。情報を共有しあえる関係づくりが大切です。

保護者と学校の関係では、PTAのあり方に関心が高まっていますが、私は、雑務が多く参加が強制されるPTAは「なくてもいい」と考えています。」(中略)「学校に相談するほどではないけれど……」という保護者同士の悩みや、学校の情報の共有。そんなクッションの役割を担ってもらいたいです。」

ーー引用終わりーー

私自身、今のPTAのあり方には疑問を感じてきました。(私自身はPTAに入ることもなく、保護者の輪からもフェイドアウトしているので偉そうなことは言えないのですが…。)一方、コロナ禍で生活や教育環境の大きな変化の中にいる子どもたち。彼らの不安や保護者の思いを学校と共有し、子どもたちの手元により良い環境を届ける仕組みが必要だと感じます。

保護者がいろいろな活動を通して交流することは、子どもたちにとっても良いことです。しかし、国や自治体が予算をつければ済むものに対して保護者の無償労働を期待するのは、そもそものPTAの目的からずれています。タブレット用のペンはPTAが購入するものではなく、きちんと自治体の教育予算に計上されるべきです。学校が花壇の手入れや消毒作業を丸ごと保護者や地域のボランティアに頼るのも、本来のあるべき姿ではないと思います。

また、少子化ということもあり、絶対数が少ない子どもの生の声よりも周りの大人の思いが「子どもたちのために」というひと言で正当化され、優先されていないか?と考えさせられることもあります。(自戒を込めています!)そのような日本社会で、parentsとteachersだけで子どものことを議論することの限界、危険性も感じます。

海外では、PTAではなく、生徒も含めたPTSA (parent-teacher-student association)を組織しているところもあるようです。studentsのために機能するPTAのあるべき姿とは?大人も、主体的・対話的・深い学びの実践として取り組んでいきたいテーマです。

写真は2019年7月、桜丘中学校の浴衣の日に視察でお邪魔した時のものです。西郷先生も浴衣姿でした。

校長室には、授業中でも生徒が自由に出入りして、ティータイムを楽しんでいました。(それも、好みに合わせて冷えた麦茶だったり、温かい紅茶だったり。)子どもたちの学びは、学習指導要領の小さな物差しだけでは測れないと思うのです。