私の政治的スタンスについて ~幼稚園保護者としての経験から~
私には小学生の子どもがいます。なかなかユニークな子で、大きな集団には向かないかな?と思い、保護者の付き添いも認めてもらえる小さな無認可の幼稚園を選びました。
初めて見学に行った時に目に飛び込んできたのは、お芋堀りの後の芋のつるで子どもたちがめいめいに作ったクリスマスリース台。ものすごく大きいものから小さいもの、形も実にさまざまでしたが、子どもたちが小さな手で一生懸命作ったこと、それぞれの作品がそのまま受け入れられていることが伝わってきました。
年少さんの「大きなかぶ」の劇も印象に残っているものの一つです。ただでさえ園児が少ないのに、やりたい役を選ばせた結果…あまり正確な記憶ではないですが、かぶとおじいさんと犬とねこしかいない…しかも、やたらとねこが多いぞ?といった状態に。希望者がいない役は先生が代役を務め、絵本に合わせて劇を進めます。あまりにも微笑ましくて笑い続けていた気がしますが、とにかく一人ひとりが自分のやりたい役を思い思いに披露して、とても嬉しそうだったのを覚えています。大人が求める「完璧」ではなく、子ども一人一人の気持ちを大切にする、温かい園でした。
子どもが入園して1年目のある日のこと。この園には認可幼稚園への入園が許可されなかった子どもが何人もいることを知りました。学校に入るまではせめてインクルーシブな環境で過ごさせてやりたいという思いで、調べたり相談したりするうちに、この無認可園にたどり着いたということでした。
障がいやアレルギー、その他さまざまな理由で認可園に入れなかった子どもたちです。公園で遊んでいる間も付き添いが必要な子どもが何人もいますので(私もそうでした)、保護者同士でゆっくりおしゃべりできないこともよくありました。そんな中、たまたま輪になって話した時に、どんな理由で認可園への入園を断られたか、その時どんなにがっかりしたか、傷ついたか…そんな経験や思いを共有したのでした。
市内外から集まっていた園児たちは、特別支援学校や特別支援学級を含め、さまざまな教育機関に進学していきました。幼稚園では先生やお互いが配慮することがある程度当たり前だったものが、就学後の世界では「特別な配慮」になりました。兄弟で同じ学校に通えると楽しみにしていたきょうだい児の思いは叶いませんでした。「我が家は毎日、完全インクルーシブが当たり前。学校でもできないはずはないよね。」そんな声が聞こえてくる一方、学校では「当たり前ができる〇年生になろう」といった貼り紙を目にすることもあり、胸に突き刺さります。
「当たり前」って誰かが決めるものなのでしょうか。
誰かが決めている「当たり前」には、ちゃんと少数派や弱者の視点が入っているでしょうか。
声なき声は聞かれているか?
見落としている視点はないか?
色々な事業や施策をチェックをする時、私はこういったことを意識するようにしています。その背景には、無認可園での経験、保護者の思い、声なき声があり、そして憲法に掲げられた理念があります。
一番好きな条文は13条ですが、ここでは11条を引用します。
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
SDGsが目指す誰一人取り残さない社会は、私たちが作った憲法ですでに目指されてきているものです。しかし、比較的福祉施策は進んでいると言われている調布市においても、まだまだ道半ばだと感じます。政治家になり、憲法で縛られる側の立場にはなりましたが、憲法の理念に立った活動を通して一人一人が大切にされる社会を実現できるよう、不断の努力を続けていこう。公園で輪になってママ友たちがぽつぽつと吐露した言葉の数々を思い起こすたびに、その思いを強くしています。