ケアの倫理について学ぶ

パープルリボン月間の特別講演として調布市の男女共同参画推進センターが主催した岡野八代さん講演会、「暴力はなぜ起きるのか〜ケアがひらく非暴力〜」に参加しました。岡野さんは新聞に掲載されるインタビューなど拝見したことが何度もあり、一度お話を聞いてみたいと思っていた方です。

「私は政治学専門家で、現場のことは知りません」と断言されましたが、理論的な分析の中にとても腑に落ちる内容がありました。

お話の中で、ケアする人は、自分よりも弱い立場のケアを受ける人との関係性の中で、暴力に訴えることを踏みとどまり、平和を保つということを常に行なっている存在だという内容がありました。

私自身が安保関連法に反対するママの会を調布で立ち上げた時、私は政治にはまるで関心がないお母さんでした。ただ、直感的に戦争は絶対に嫌だと思いました。ダンゴムシを愛おしそうに愛でる息子に、直接的であれ間接的であれ、人と人とが殺し合う世界に関わらせるのは、理屈抜きに絶対に嫌だと思いました。それは多くの母親の共通の思いであり、多くの母親が国内外でアクションを起こしたのでした。

なぜ政治にまったく関心がなかった私が、調布市議会が国に上げた安保法制の推進を求める意見書に賛同した市議に電話をして賛同の意図を尋ねたり、チラシを作って駅頭に立ったりするところまで突き動かされたのか?振り返っても、その理由は自分ではよく分からなかったのですが、岡野さんのお話を通して、答えの一つが示唆されたように思います。

日々の子育てで、母親は絶対的な力を持った存在として子どもに接します。その中でイライラすることもあるわけです。でも、何とか暴力に訴えず平穏を保つため日々、葛藤し、抵抗します。平和を守るというのは、そういう静かな、でも熱意を帯びた忍耐や抵抗を伴うものであることは、子育てに限らず、保育、教育、介護など「ケア」の現場では日々実感されているのではないでしょうか。

誰の中にでも暴力性はあり、力関係によっては、いつでもそれを開放することはできます。でも、暴力や武力に頼るのは、平和を破壊する行為に他ならないと、日々小さな平和的抵抗を繰り返すケアの現場では意識されていて、私自身も子育てを通して平和がいかに地道な努力の積み重ねで手に入れるものか、感じていたのではないか…と、岡野さんのお話を通して思いました。だからこそ、再び戦争に加担する道を開こうとする国の動きにブレーキをかけなければと思ったのかもしれません。

当時、私たちはプロママなどと揶揄されたこともありましたし、政治的な話を日常に持ち込むなと批判されることもよくありました。でも、ママの会で集まった母たちは、ただのお母さんたちでした。

あまり単純化することはできませんが、それでも、ケアする立場に置かれることが多い女性が政治を司る立場に就き、同時に男性の間でもケアの経験値が上がれば、社会はもっと平和になるのではないかと思います。そして、緩やかではあっても、その傾向は生まれてきていると思うのです。