人権とか権利について

今年の代表質問のテーマを改めて眺めてみると、人権や市民の権利に関わるものが多いなと気づきました。それだけ人権とか市民の権利が軽く扱われてしまっている現状があちこちで起きているということだと思います。

「権利」について少し書きたいと思います。

市民活動に関わり始めた頃、ある憲法の学習会に参加しました。そこで13条「国民はすべて個人として尊重される」を読んだ時、こんなに同調圧力が強い日本の憲法の柱に、まさか私たちが個人として尊重されると書かれているとは…!!と、感動しました。それ以来、一番好きな条文です。9条も守りたい条文ですが、その大元にある13条をもっと大切にしたい。一人一人が個人として尊重される社会を目指している国だと宣言していることをもっと広めたいと思い、自分でも憲法の学習会を始めました。

学習会の準備をしていて知ったのが、「権利」という言葉が使われるようになった由来です。明治維新後、日本にはなかった概念が西洋から入ってくるようになり、訳語を考える過程ではさまざま苦労があったようです。「哲学」「個人」「社会」もその一つです。同様に、英語のrightで表される概念も新しく入ってきました。「けんり」という言葉があてがわれることになったのですが、福沢諭吉は「権理」「権理通義」と訳しました。「理」とは、元の言葉のrightも示すように、正しいこと、道理にかなったこと、正義といった意味です。

「けんりを主張する」というと、何となく利己的な主張をする、自分勝手なことを主張する、社会の輪を乱す、といったイメージに思っていませんか?「権利を主張する前に義務を果たせ」なんていうフレーズもよく聞きますし、道徳の教科書にも堂々と書かれています。「権利」は漢字をさかさまにすると「利権」になってしまうので、余計にそのイメージが強くなっているのかもしれません。でも、本来は道理にかなったことを主張するのが「けんり」であって、道理や正義の実現に導くものですから、義務とセットで語られること自体が間違っています。

憲法の学習会の中で、ある参加者が「中学校くらいの時に教わった気がするけれど、試験のために三大義務を暗記したことくらいしか覚えていない」と言っていました。これって、実は笑えない話なのです。憲法は国民の義務を定めているものではなくて、国民の権利や自由を定めているものだからです。国民の一番大切な義務として書かれているのは、12条です。「憲法で保障されている自由とか権利を守る努力を続けないとだめですよ」という条文です。

私は今、議員という立場にいますので、99条で定められているように憲法を守る立場です。憲法を守って、人々がすべて個人として尊重されるように努めなければならない立場です。それは市長や市職員も同じです。個人情報や税金、権力は、すべての人が個人として尊重される社会を作るために託されているのであって、ちゃんとライオンの檻の中で使うものです。そう言い聞かせています。(意味が分からない方は、「檻の中のライオン」で検索を…。)