一人会派の新人女性議員であるということ

市議会議員になって5月末で2年が経ちます。所属した建設委員会と調布飛行場等対策特別委員会の任期が終わろうとしています。都市整備部と環境部所管の内容を審議する建設委員会では、生活者ネットワークが長く取り組んできた環境問題に関わる事業や、市民活動で取り組んでいた駅前広場整備や街路樹整備への市民参加の問題、また公園整備などを中心に発言をしてきました。

委員会の中で的確に発言をすることは、時に思いが強いほど難しい場面もあり、他の委員や委員長からはご指摘やアドバイスをいただく場面もたびたびあります。他の委員会の音声データを聞いたり議事録を読んだりする中で、先輩議員の発言から学ぶことは多いものの、実践となると思い通りにいかないことも多いのが現状です。それでも、これは言わなければならないというテーマについては失敗を恐れず発言をするよう努めています。議会は言論の府ですので、議会での発言が一番重要だと考えているからです。

しかしここまでの間、委員会で発言を止められることもありましたし、発言や活動に対して大声で批判を受ける場面は委員会内、外を問わず何度もありました。自分自身の力不足、勉強不足も一方でありながら、一定数の支持をいただき、市民の声を代弁する立場としてこの職に就かせていただいている者としての務めを全うしづらい状況に置かれることがあったことは事実です。

上記の記載で、「発言を止められる」および「大声で批判を受ける」場面があったとの内容があります。この文章では、2つの行為者が同一人物のように受け取れるため、「委員会で発言を止める」権限のある委員長が「大声で批判」もされたように受け止れる、とのご指摘をいただきました。正確には、委員会で発言を止められたのはその権限をお持ちの委員長ですが、大声で批判をしたのは、委員会内および委員会外、それぞれ委員長とは別の方々です。誤解を招く表現であったことをお詫びして、補足説明とさせていただきます。

第一回定例会の建設委員会最終日、ある委員から、建設委員会として公遊園のトイレや公衆トイレの整備計画をもっとスピーディーに進めるよう要望してはどうかとの提案がありました。それは、一部の委員の方々がトイレ整備を強く望んでいるからだったのですが、私としては、新しい公園にトイレを整備するべきだという声よりもむしろ、近隣に住む方々からは否定的なお声も聞いていましたし、トイレはいらないという声も聞いています。多様な意見、政策をもつ議員が集う委員会において、統一された方向性をもって提案をするのであれば、十分な議論が必要だと思いました。

そこで、8日に臨時で開かれた建設委員会の協議会では、公園などのトイレは迷惑施設になり得るものであり、整備計画のプロセスには前段階として住民の合意を得ることが重要だとの発言をしました。現在、公園のトイレには清掃が週2回の頻度で入っていますが、私が知っているいくつかの公園では、近隣の方が毎日のようにお掃除をしてくださっています。こういうことを当然のこととして、安易にトイレの数を増やすことには賛成できないのです。

下石原にある鬼太郎ひろばができる数年前から、小さな市民グループで緑と公園課に出前講座を何度か依頼し、近隣の方々にもお声をかけて意見交換を重ねていました。トイレについては、歩いてすぐのターザン公園にあるトイレが和式便器が1つのみで非常に使いづらかったため(それでも近隣の方が頻繁にお掃除をしてくださっていました)、そのトイレを新調してはどうか、鬼太郎ひろばの方は、公園に面する形で住宅が建っていて、日常的に負担をかけることになるのでトイレは設置しない方がいいだろう、という意見が複数出ていました。

ところが、その後議会で鬼太郎ひろばにトイレを作るべきだという議論が起こったようで、私が議員になった頃には、トイレの設置は決まっていました。公園へのトイレ設置を全面的に否定するわけではありませんが、家のすぐ近くに公衆トイレが設置され、影響を受ける方に配慮し、理解を得ることはとても大切なことだと思っています。

協議会では各委員が意見を述べた後、最後に委員長がまとめられました。そのまとめの中に「公園のトイレは迷惑施設ではない」という言葉がありました。「迷惑施設になり得るので住民合意が不可欠」という趣旨の発言をした私としては、発言を無視したまとめと受け取り、委員長に意見を申し上げました。委員長からは「ちゃんとすれば迷惑施設にはならないはずの施設なので、そのように整備をしてもらいたい」という趣旨の発言だったとご説明いただき、納得をしました。協議会は議事録が残りますので、丁寧に説明をしていただいてよかったと思っています。そうでなければ、「公園トイレは迷惑施設ではないから、住民合意は必要ない」と受け止められることが十分に懸念されるまとめでした。

問題は委員会が閉じてからです。「委員長に対して失礼だ」「あなたはそういう声を聞いているかも知れないし、そういう意見は尊重するが、委員長のまとめも尊重するべきだ」と批判を受けました。「議事録が残るところで委員長のまとめに茶々を入れるとは」「今の発言は議事録から消してもらいたいくらいだ」との批判もありました。しかし私は、委員長こそ議論の中で出された異なる意見をそれぞれ尊重した上でまとめをされるべきだったと思います。(容易なことではないのだと思いますが、他の常任委員会ではさまざまな意見に配慮をしたまとめがされていますし、委員長が特定の委員の発言をくり返し止める場面も見られません。)

※この部分ついては、今回の協議会において感じたことと、これまで2年間の委員会審査の中で感じてきたことが混同して書かれているため、協議会において発言をくり返し止められたかのように誤解を招く記載となってしまいました。詳しくは議事録をご覧いただいても分かりますが、協議会では発言を止められる場面はありませんでした。誤解を招く表現などによって特定の方に不利益が生じることは本意ではありませんので、お詫びしてそのように補足をさせていただきます。

新人、(生まれてまもなく半世紀ですが、議会内では比較的)若い方、女性、一人会派。こういう属性をもつ私が代表する声は、きっと市民の声の中でも小さく、弱いのだと思います。ベテランの方から、年配の方から、男性から、大きな会派の方から、「わきまえる」ようにというプレッシャーを受けます。しかし、私がわきまえてしまったら、小さく弱い声は市に届きません。私がわきまえて議会の中で楽をしてしまっては、議員としての職務を全うできないと思っています。まだ無我夢中で失敗も多いのですが、言論の府の土俵の上でしっかりと務めを全うできるよう、発言力を磨いていきます。