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妊娠・原発事故

2011年、結婚9年目にして子どもを授かりました。しかし、その妊娠中に東日本大震災が起き、その経験を通して少しずつ政治に関心が向くようになりました。例えば、福島第一原発事故の影響が東京にも及ぶ中、実家の神戸に疎開した方が良いのか、また水や食べ物は安全なのか、といったことついて確かな情報がほしいと思いましたが、「あまり気にしない方がいい」と言われるばかり。テレビでは、福島で出産したいというお母さんが肯定的に報道されており、政府やメディアが流している情報を鵜呑みにしてはいけないのではないか?確かな情報はどうすれば手に入るのだろうか?と考えるようになりました。

安保関連法に反対するママの会@調布

出産後は、高齢出産ということもあり、初めての子育てに追われる日々でした。しかしそんな中でも、次第に「戦争」の2文字が聞かれるようになり、不穏な空気を感じるようになりました。関西に住んでいたこともあり、広島や長崎の原爆資料館や沖縄に行く機会がありました。戦争の悲惨さを知るごとに、日本が戦争を放棄して本当に良かったと9条のありがたさを噛みしめてきましたが、その9条を骨抜きにする解釈改憲が閣議決定され、2015年9月には安保法制が強行採決されるという、国のあり方を大きく変える事態が起きてしまいました。

さらには、調布市議会が安保法制の推進を求める意見書を1票差で可決し、国に提出したことを知りました。自分の足元の政治も国と同じ方向を向いているのかと愕然とすると同時に、アクションを起こさなければならないという思いを強くしました。

(2015年 安保関連法に反対するママの会 渋谷ジャックにて)

戦争できる国、戦争する国づくりが進んでいるという危機感は、憲法学習会に参加し、自民党の改憲草案を知ることでさらに強まりましたが、その中で今の私に一番大きな影響を与えている、13条と出会いました。

「国民はすべて個人として尊重される」

自由な校風の学校で中高生時代を過ごし、1年間でしたが海外生活を経験したこともあり、社会に出てからは、日本独特の無言の同調圧力に息苦しさを感じていました。そのため、日本国憲法の柱はこの13条であり、日本が戦争を放棄するのも、この13条が保障する個人の尊重を守る上で不可欠だからだとの説明を聞き、驚きと感動を覚えました。戦後の私たちの人権が、このシンプルな条文に守られてきたことを身近なところから伝えたいと、見よう見まねで資料を作り、「ちいさなけんぽうのお話し会」を始め、少しずつ回数を重ねました。

憲法の学習会は、当時の政治に不安を抱くお母さんたちと思いを共有する機会となりました。当時、「安保関連法に反対するママの会」が全国で次々と立ち上がっていました。誰かママの会を調布でも立ち上げてくれないだろうか?という思いは、次第に「私が立ち上げなければ」との思いに変わり、すでに強行採決の後でしたが、2016年11月、もう一人のママ友と立ち上げることとなりました。

日本を戦争する国に戻してはならないとの一心で、駅頭にも立ちました。このままでは、日本が望まない方向に大きく変わっていってしまう。子どもが成人する頃には徴兵制が始まってしまうかもしれない。「その時、お母さんは一体何をしていたの?」成長した子どもにそう聞かれて、何も答えられない親にはなりたくない、という思いでした。

市議会・市政とのかかわり

時期を同じくして、子どもが大好きだったタコ公園が閉鎖となったこともきっかけとなり、市政にも関心を持つようになりました。

安保法制に続き、国会では共謀罪が議論の真っ最中。市議会内での共謀罪に関する議員提出議案への会派の態度に疑問を感じ、市議会を傍聴したり、陳情書を出したりしました。また、市長選前には子育て世代の声を集め、公開質問状への回答をウェブサイトで公表するなど、発信にも力を入れました。

子どもが無認可の幼稚園に通ったことをきっかけに、市長とのふれあいトーキングにも参加し、無認可園の情報提供を求めました。(残念ながらまだ実現していません。)こうしたことを通して、身近な足もとの政治の存在を意識するとともに、国政と違って、声が届きやすいことや、それだけに責任もともなってくること、その面白さにも気づきました。

まちづくりにかかわるということ

2018年、知人から調布市教育委員会の教育プラン策定検討委員会の市民委員を公募しているという情報を得て、応募してみました。幸い、採用していただくことができました。当時は、道徳の教科化による子どもたちの思想信条の自由への影響が懸念されていた時期。私は、私立男子校で非常勤講師をしながら子育て中心の生活を送っていました。教員として、また母として、そして市民として、憲法に謳われる個人の尊厳、調布市子ども条例の教育現場での実践、また障がいのある子どもたちへの理解促進に特に思いを込めて発言しました。

残念ながら翌年の市議選への擁立が決まったため、途中で委員を退くこととなりましたが、この経験は、議事録に残る場所で発言することの重みと意義を知るきっかけとなりました。出来上がったものに反対を唱えるだけでなく(もちろん、それが大切な場面はたくさんありますが)、作るプロセスに建設的に関わりたいと思うようになりました。

議員として

2015年の当選当時から応援していた二宮ようこの跡を継ぐ形で、調布・生活者ネットワークから立候補し、2019年に市議会に送り出していただきました。市議会は、行政、市民の皆さんとともにまちづくりを担っていく責務を負っていますが、行政とは対峙し、時には厳しくチェックをする立場にいます。また、市民の皆さんと行政の橋渡しをする役割を担っていますので、できるだけわかりやすく情報を伝えたり、また、期を重ねるごとに失いがちな「市民感覚」を忘れないようにと念じながら、市民の皆さんの声を行政にしっかり届けていきたいとの思いで活動しています。より良い、誰ひとり取り残さない調布をともに作っていきましょう。

 

+++その他、人生に影響を与えたできごとや背景にあること+++
第二次ベビーブーム、バブル期、バブル崩壊、阪神淡路大震災、就職氷河期、育英会奨学金、夫婦別姓、DV、虐待、教員の多忙、生活指導の人権問題、引きこもり、不妊、子育て、自然遊び、インクルーシブ保育、障がい、不登校など

 

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プロフィール

◾︎1973年 神戸市生まれ
◾︎1985~91年 神戸女学院中高部
硬式テニス部に所属、中学では副部長、
高校では部長を務めました。
中学3年生の時、団体戦で全国大会に出場。
(シングルスで出場するも惨敗…。)


◾︎1991~1995年 神戸女学院大学文学部英文学科
体育会の硬式テニス部で主将を務めました
◾︎1995年1月 阪神淡路大震災で被災、家が全壊


◾︎1995〜2001年 大学院進学
イギリス留学期間含め、イギリス19世紀の詩の研究
◾︎2002年 結婚して上京、布田に住み始める
◾︎2003年〜2010年 私立女子中高専任教員
やはり…硬式テニス部の顧問になりました
◾︎2003年〜 生活クラブ生協加入
◾︎2005年 上石原に転居
◾︎2011年 妊娠中に3.11を経験
◾︎2015年11月 安保関連法に反対するママの会@調布立ち上げ
◾︎2018年〜 生活者ネットワーク政策委員
◾︎2018年6月〜10月 教育プラン策定検討委員会市民委員

◾︎2019年6月〜 調布市議会議員(1期目)
建設委員会・調布飛行場等対策特別委員会・議会運営委員会・広報委員会・市民のための議会報告実行委員会
◾︎2021年6月~
文教委員会・広域交通問題等対策特別委員会・議会運営委員会・広報委員会・市民のための議会報告実行委員会
◾︎2023年6月~ 調布市議会議員(2期目)
総務委員会・調布飛行場等対策特別委員会・議会運営委員会・広報委員会・市民のための議会報告実行委員会
◾︎2025年6月~
文教委員会・広域交通問題等対策特別委員会・議会運営委員会・市民のための議会報告実行委員会

家族:夫、息子(13歳)、愛犬ムンタ(1歳)
好きなこと:犬の散歩をしながら自然観察、木の実集め、歌うこと、たき火
調布の好きなところ:カニ山、野川沿い、多摩川(黒曜石探しなど)