なぜ日本は原発をやめられないのか〜まだ終わらないフクシマ〜
8月2日、市川房枝記念会女性と政治セミナー主催の脱原発一日セミナーに参加した。
青木美希さんによれば、福島第一原発事故の影響範囲は想像を超えて広い。林野庁公表のデータを見ると、山梨県、静岡県、さらに富士山でもきのこや山菜から検出される放射性物質が基準の100ベクレルを超えていることがわかる。うち福島からの影響によるものは73%(驚くべきことに17%はチェルノブイリだ)。原発事故の影響は全く終息していない。それは被災者の生活においても同様だ。避難者は2.9万人、うち東京在住者は2646人。調布市在住の避難者も29名いる。
政府はこの間、2017年3月末以降、避難者2万世帯以上の住宅提供を打ち切り、2019年12月には医療費補助の打ち切り方針を閣議決定。2020年3月には浪江町、富岡町など帰還困難区域700世帯への住宅提供も打ち切った。さらに2025年度末には大熊町と双葉町の避難者への住宅提供や家賃補助打ち切りが決定している。避難者の生活は、多くの場合非常に厳しい。これまでに住宅提供打ち切り後も東京に残った世帯は7割に上り、そのうち3割近くが月収10万円未満だという。そういった避難者に、福島の3倍かかる東京都の家賃負担がのしかかる。
では、福島は安心して住める状態に回復したのか?双葉町(第一原発から2.5km)で牛飼いをしていた鵜沼さんからもお話を伺うことができた。いまだに自宅付近は帰還困難区域のため許可がなければ入れない。近づくとガイガーカウンターが鳴り始める。双葉町は震災時は町民7100人の町だったが、帰還者は59人しかいない。大熊町は町民11505人のところ帰還者は271人のみである。住宅提供打ち切りの対象者は593世帯966人。うち7割の自宅はすでに避難解除されているが、3割は帰還困難区域だ。大きな病院も介護も警察もなく、安全安心な生活が送れる状態ではない。鵜沼さん自身も、復興の「ふ」の字も実感できていない。しかし、すでに福島は報道もほとんどされなくなり、多くの人々の間で原発事故は風化しつつあるのではないか。苦しい状況を語れば「いつまで避難者面をしているのだ」「補助金ももらっているくせに」と非難の言葉を浴びせられるという。これまでの住宅提供打ち切り対象者含め、自治体独自の住宅支援の可能性を探る必要がある。同じ地方自治体として、国や東電を相手に戦わなければならない福島の住民に寄り添う姿勢を求めたい。
なぜこれほどの大事故を経験しておきながら、多くの人々の人生を壊し、国土を失っておきながら、日本は原発を止めることができないのか。なぜ東北の後にも大地震を経験し、その度に原発への影響に肝を冷やしながら原発を手放さないのか。原発は官・政・業・学・メディアの五角形で推進の方向性が固められている。メディアが加担し、本来の役割を果たさないことで、国民は真実を知ることができないため、声を上げることもしづらく投票行動にもつながらない。この五角形を崩すために、真に住民の命と暮らしに寄り添う政治や善意に根差したメディアが諦めずに戦い続けることが重要だ。
ドイツで脱原発が実現したのは、ヨーロッパでは原発と核兵器がリンクしていることが当然のこととして認識されている背景があったことが理由の一つだと村上氏。日本ではそこがオブラートに包まれてしまっているが、原発は決して核の平和利用などというものではない。いよいよ南海トラフ巨大地震も現実味を帯びてきた。根拠のない楽観的な考えを捨てて現実を直視し、3.11を最後の教訓に、脱原発を実現させなければならない。